友人
少し前になりますが、印象に残った現場があります。 その現場は孤独死でかなり発見が遅れました。 夏場だったので、死臭が建物内に充満していました。 現場にいらっしゃったのは身内の方ではなく、ご友人の方でした。 遠い親戚の方がいらっしゃいましたが相続放棄され、警察の方から連絡を受けたご友人の方が 後の整理をすると仰っていました。親戚の方の委任状も持っておられ、遠く四国から来られていました。
「故人とは四国で一緒に汗を流して働いた仲間なんです。」 故人は人付き合いが苦手だったそうですが、ご友人の方には心を開かれていたようです。 幼少の頃にご両親が離婚し、学校もまともに行けなかった事や、 自分は身寄りがいなくて孤独だとよくお酒を呑んで話したそうです。 大阪に行ってもう少しいい暮らしをすると仰ってたらしく、この様な結果になったことを悔やまれていました。
「この部屋を供養してやってください。費用は掛かってもかまいません。」と絞るような声で仰います。 身内じゃないからこそ、供養という言葉が出たのだと思いました。
作業後、畳まで撤去したので何もない部屋で、整理中に出てきた四国時代の写真を1枚1枚確認しながら 「人は死んだらもうそれで終わりじゃのう。思い出も・・・。」と言って涙を流されました。 通常であれば遺品の整理はご友人であれば、費用も掛かるのでお断りされるかと思いますが、 このご友人の方の思いには、感動しました。
生涯このような友人が私にもできるだろうか・・ふと帰りの車で考えたのを覚えています。